すべてに敬意を。──「ミライカナイ」という場所の話
はじめまして。
ミライカナイ 代表の金井隆司(かない・りゅうじ)と申します。
このページでは、少し長くなりますが、私がこれまで歩んできた道、そしてこの会社に込めた想いについて、正直にお話しさせてください。
16歳、塗装の世界へ
塗装の仕事を始めたのは、16歳のとき。
高校を中退し、「家計を助けたい」という思いと早く社会に出て、手に職をつけたいと建設塗装の世界へ飛び込みました。
当時の家の暮らしは、正直、荒れていました。
父は運送業。酒を飲めば怒鳴り散らし、やがて暴れる。
母は専業主婦でしたが、借金に追われる生活にいつも不安そうで、両親は毎日のように喧嘩をしていました。
心が不安定な大人たちのそばで
僕と妹たちも、家ではどこかピリピリしていて、
心が休まる時間はあまりなかったように思います。
それが当たり前の日常でした。
働き始めた当時はバブルが崩壊した直後で、先輩たちは「昔はもっと良かったのに今は‥」と嘆いていたのをよく覚えています。
でも、僕にはそんな“昔”はなくて。
ただ、目の前の仕事を一生懸命やるだけでした。
朝から晩まで、汗まみれ埃まみれで、毎日が勝負。
ひとつひとつの現場で、覚え、叱られ、任され、また叱られ、それでも少しずつ前に進んでいきました。
結婚、子育て、そして自分との葛藤
勤め出して5年経ち職長として現場をしっかりと任せられるようになった21歳で、4年間付き合った今の家内と結婚し、長女が生まれたとき、心に誓いました。
「この子のためにも、ちゃんとした大人にならなきゃ」と。
でも──
人生って、思っていたよりずっと難しかった。
丸10年間勤めた塗装会社から
リフォーム会社に転職し、10数名の職人をまとめる立場に抜擢されたものの、
そこは成果主義とプレッシャーに満ちた厳しい現場でした。
週80時間以上の長時間労働と、ミスがあれば原因を強く叱責され、結果が出なければ居場所がなくなる。
いつも何かに追われるような感覚で、息をつく暇もなく、失敗を恐れ、毎日ビクビクしていました。
会社のムードはひどいものでした。
そのうち段々と心が乾いていくのが自分でもわかるんです。
全然余裕がなくなり、平気で強い言葉で他人を責めるようになる。焦りや怒りを抱えたまま家に帰れば、当然、家庭の空気も乱れていきます。
家にいても、心が休まらない──
けれどそれは、誰かのせいじゃなく
原因は、自分のイライラした言葉や態度。
無口になり、笑顔が消え、子どもの声にも、妻のやさしさにも気付けなくなっていった。
そして現場でも──
心が荒れていた自分は、「効率」や「納期」にばかり目が行って、無茶な工程を立て、その結果
本当はやりたくなかった“手抜き”をしてしまったこともありました。
あの頃の自分には、言い訳がたくさんありました。
「誰だってやってる」
「無理な指示通りにやってるだけ」
「いまは時間がない」──
でも今振り返れば、それはすべて“逃げ”でした。
建物は黙っているけれど、塗装には嘘が出る。
やがて、そのツケは必ず誰かに返ってくる。
そして、何より怖かったのは──
そんな自分に、慣れてしまいそうになっていたことです。
限界と決意、そして小さな変化の始まり
限界は、突然やってきました。
ある日、ふと鏡に映った自分の顔を見たとき、こう思ったんです。
「このまま歳を取ったら、何を残せるんだろう」って。
「もう、自分で決めたい。
自分が“いい”と思える仕事を、まっとうにやりたい」
そんな思いで32歳の時、『金井ペイント』として独立しました。
けれど──現実はまたしても甘くありませんでした。
コネもなく仕事も下請けのそのまた下請けだったりでメチャクチャな忙しさに追われ、焦りから思うように人が育たず、
ちょっとしたことで現場で感情を爆発させてしまったり。
若い職人が辞めていくと「自分はまた同じ過ち繰り返してしまってる」とひどく落ち込む一方で
自らの心の弱さから「いや、でもアイツだって悪い」と責任転嫁。
でも、それでも──ほんの少しずつだけど
変わりたいと思う自分がいました。
資格の取得
それまでは、ずっと現場で経験を積んできたけれど──
「本当に自分の腕は通用するのか?」
「看板を掲げるなら、証になるものが欲しい」
そんな思いもあって、国家資格である一級塗装技能士を取得。
さらにその後、塗装科の職業訓練指導員の資格も取りました。塗装技能士の育てる先生の資格です。
将来先生になる未来は来るのでしょうか?笑
自分の技術を確かめてみたいという純粋な気持ちと、お客様や仲間からの信用につながればという計算ももちろん正直ありました。笑
でも、学科・教養・実技と、どの試験も専門的でやりごたえがあり、あらためて「塗装とは何か」と自分に問い直す、いい機会になったと思っています。
世界観に憧れ、技術に惚れ込んだ
資格を取ったあと、僕の中でふつふつと芽生えたのが、「新しい表現」や可能性に挑戦したいという思いでした。
家族と出かけたディズニーランドで、建物のデザインや岩の造形に目を奪われたんです。20代の頃、ディズニーの手掛ける国内最初のホテルの新築工事に携わったことがあり、その技術の高さはもちろん知っていたのですが、改めてじっくり見てみると
「なんて素敵な世界観なんだろう」
そう思ったらもう、夢の国を楽しむどころか頭の中はもう職人モード。
あの石の質感はこうやって作ってるんだろうな。色のバランスはこうなってるんだ。この赤いレンガよく見ると赤だけでも4色も使ってるじゃないか!ここはもっとこうしたらかっこいいかも‥
気がつくと、目の前の建物や造作物が“施工見本”に見えてしまっていて、
家族には申し訳ないけれど、純粋に楽しむことができない。
これはある意味では“職業病”かもしれませんね。笑
でもそれくらい、心を動かされたんです。
その後、調べるとそのモルタル造形という技術を
群馬県の講習で学べると知り、2日間受講。
コテひとつで石積みやレンガ、木目までも表現できる奥深さに、夢中になりました。
さらに、あるおしゃれな美容室の内装で目にした、独特の質感を持つ壁。
それが、トルコの特殊塗料「サンデコ」によるものでした。

「これは何の塗料なんですか?」と聞いたその場で即検索。
扱っている仙台の会社を見つけて、すぐに講習を申し込み、宮城県まで足を運びました。
いつものお家を塗るのとは一味違う上に
いつもよりもさらに没頭できる仕事を見つけた!
手間のかかる素材や技術ほど、仕上がりに“熱”がこもるし、誰でも出来るわけじゃない無二の仕上がりと見た人の感動を呼び起こせる。
そんな感覚が、さらに僕の塗装への愛着を深めてくれた気がします。
苛立ちと未熟さ、そして「誇り」に気づくまで
新しい技術を身につけていく喜びの一方で、
現場では、まだまだ自分の未熟さと向き合う日々が続いていました。
資格を取り、表現の幅も広がった。
でも、経営者として、仲間の前に立つ人間としては、まだまだ未熟な修行中の身。
──あの「トゲのように心に残っている記憶」は
今でも忘れられません。
それは、ある忙しい現場でのこと。
スケジュールがタイトで、段取りも天候の影響で、だいぶ狂っていた。現場も3つほど重なってしまってきている。今日はなんとしてもここまでは進めないとさらに苦しくなってしまう。
「2階の裏側でここは、どうせ誰も見ないから…」
それは苦しかった職人リーダー時代と同じ
小さな“手抜き”でした。。
でも、終わった後にやっぱり感じるあのすごくイヤな違和感と、胸の奥に残る強い苦味。
それは、どんなに怒鳴られたり、詰められたりして心折れそうになる失敗なんかよりも、自分の奥深く突き刺さり、辛かったはず。
またあの頃の心が荒れていた時の自分と同じ過ちを繰り返していくのか‥自分は心底だらしがない‥
「自分は、誰のために、何のために、この仕事をしているんだろう?」
僕は改めてはっきりと自覚することができました。
「仕事には、まず自分が揺るがない覚悟と誇りが必要なんだ」ということを。
どんなに忙しくても、見えない部分でも、ちゃんと約束は果たすこと。誰も見てない?いや、誰よりも僕自身がちゃんと見てるし、知ってる。だからまず己を裏切らない。言い訳しない。
その積み重ねが、信頼になり、自信になり、
やがて「この人に頼みたい」と言われる理由になるのだから。
そしてもう一つ。
本気で誇りをもって働けるからこそ、人は成長するし、新しい技術に挑む意味があるんだと。
あのときの後悔があったからこそ、
僕は塗装という仕事に、初めて本当の意味で
“静かな誇り”を持てるようになったと思うのです。
だから誇りを積み重ねる事を目的にして仕事をしたい。これを誓おう。
「ミライカナイ」に込めた想い
2024年、社名を「金井ペイント」から「ミライカナイ」へと変更しました。本当は法人化に伴っての社名変更にしたかったのですが、塗装会社の先輩経営者、税理士さんなどと協議して法人成りは少し先送りにすることになりました。
この名前は、僕の姓「金井」と、沖縄に伝わる“理想郷”という意味の「ニライカナイ」から着想を得たものです。
未来に願いが叶う場所。
魂が安心して帰れる場所。
そんな意味を込めています。
この仕事を通して、
出会う人の人生が、少しでも温かくなるように。
職人さんが誇りをもって働ける場所をつくれるように。そう願って、この社名を選びました。
自分を整える、会社の理念を掲げる
ちょっとだけ個人的な話を。
4年前くらいから朝と晩、最低10分くらいは瞑想をするようになりました。笑 多い時は1時間ずつ。
決して怪しい話ではなくて、Googleとかの一流企業では社員教育として科学的に前頭前野や、記憶を司る海馬などがまるで筋力トレーニングをして筋肥大するように大きく、パフォーマンスが劇的に上がる効果の実証されたマインドフルネスとして取り入れられて注目されているそうですよ。
慌ただしく1日が始まるのではなく、静かに心の中を整えてから動き出す。そして夜眠る前に今日の出来事を振り返って感謝する。
この習慣が身についてから、人生の質が向上していった実感があります。もちろん瞑想だけのせいではないのですが。
たとえば仕事で行き違いや相手のミスがあった時も、まずは矢印を相手ではなくて自分に向けて、ただ伝え方が悪かったのでは?伝えるタイミングは適切だったのか?を振り返ってみる。
感情をぶつけたとて問題が解決する訳じゃないから「じゃあ、どうしたら同じことが起きないか」を相手と一緒に考える。
そんな小さな積み重ねが、
職人たちの表情をやわらかくし、現場の空気をやさしくしていきました。
家に帰れば、家族との会話も増え、笑い声が戻ってきました。(と、思ってるのは自分だけ?笑)
あの頃、自分の怒りや疲れを家族に特に家内にぶつけていたこと。そして、そのことにすら気づけなかったこと。私はたくさん謝らなければならない。
でも今なら、心から言える気がします。
「ありがとう」「ごめんなさい」「あなたがいてくれてよかった」と。
そしてコントロールできない外側の出来事を
思い通りにしたいという、無理や無茶はさっさと手放して、唯一コントロールすることができる『自分の捉えかた、振る舞いを整える』ということだけに集中すると、不思議と嫌なことが起きない、いや、起きたとしても前ほど気にならない。まさに自分が変わると世界が変わる
と思っています。
会社として大切にする価値観は前に立つ自分の芯のある理想にしたい。だから会社の経営理念には、この言葉を旗印として掲げることにしました。
Respect All(すべてに敬意を)
昔は、うまくいかないことがあると、すぐ人や環境のせいにしていました。(今もその癖とは日々戦っていますが)
でも今は、たとえ思い通りにいかなくても、「これは何を学ぶために起きたのか?」と考え、未来の成長の糧にする。
関わるすべてに尊敬の念を持って接するすることを大切に、自分も相手にも、日本人らしくモノの扱いにもリスペクトを忘れない。この気持ちを大切に育てていきたいと思っています。
技術よりも「心」で残るもの──ミライコートの話
このように塗装の仕事をしてきて、もう32年になります。その中で、ずっと胸にあった疑問がひとつ。
「どうして家の塗装は、10年も経たずにツヤがなくなり、くすんでしまうんだろう?」
ふと目にした10年以上前の車は、まだピカピカでした。
それは、“透明な保護膜”で塗装を守る技術──「クリヤーコーティング」の存在を知った瞬間でした。
それが《ミライコート》誕生のきっかけでした。
──もちろん、僕が新しい技術を開発したわけではありません。クリヤーコーティングの工法はすでに存在していました。
僕が目指したのは、既存の技術にこれまでの独自の経験と現場での知恵とノウハウを活かし、
素材の選定、施工手順、職人の教育体制までトータルに整えた《ミライコート》は、
僕たちの最適な“答え”の一つです。
《ミライコート》の工程
① 下地調整(洗浄・補修)
↓
② 下塗り(密着力を高める)
↓
③ 中、上塗り(色と質感を整える)
↓
④ クリヤー塗装(透明の保護膜)
↓
⑤ アフターフォロー(点検・安心)

中でも、最大の特長はこの④透明な最終コーティング。
色あせ・劣化・汚れを防ぎ、美しさを長持ちさせる“見えない盾”です。

でも、本当に大切なのは技術だけではありません。
「誰が、どんな気持ちで塗るか」です。
優れた塗料でも、使う人の配慮や手の掛け方、工程で、仕上がり、耐久性は天と地ほど違う。
だからこそ、私たちは技術とともに“想い”を重ねています。
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最後に──「ここでよかった」と言われるために
家の塗り替えは、人生にそう何度もない大きな選択です。
だからこそ、「頼んでよかった」と言っていただけるように。
そして、10年後も「やってよかった」と心から思っていただけて、またお願いしてもらえるように。
見た目の美しさだけでなく、
心に残る仕事を、ていねいに。
それが、「ミライカナイ」の約束です。
ご相談・無料診断はいつでもお気軽にどうぞ。
住まいも、人も、時間も、大切にできるような出会いが、ここから始まりますように。
ミライカナイ 代表 金井隆司